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[コラム] なぜスポーツ指導者は言うことがバラバラなのか?

卓球台



大企業病と同じ症状である

話を聞く側の気持ちになってみろ。という話です。

例えば、
Aコーチは、スイングは眉間にまで持って来い。と言う。
Bコーチは、スイングはコンパクトにボール当てるまでだ。と言う。
いづれも、その理由の説明はしない。

聞く側は、どういう気持ちになるのだろう?

混乱し、何が正解なのかが判らず、いつまで経っても、スイングの本質に辿り着けずに
卓球でいう「手打ち」を続ける。

スポーツ教室において、コーチ同士で指導内容について、認識を合わせる為の
事前ミーティングなど何もない。

それでコーチ側が、自分勝手に教えたい様に、それぞれ違う答えで教えている。
これは、有料のスポーツ教室において、ただ1箇所の話ではなく、様々な教室で
同じ状況が散見される。

これを民間企業で例えれば、
社員全員が参加するミーティングにおいて、
社長は、「来期は、洗剤の販促を強化し、◯億円売上ます」と言っているのに対し、
取締役は「来期は、菓子の販促を強化し、◯億円売上ます」と言っているのと同じ事だ。

聞かされている側は、どう思うだろう?

「どっちなんだよ?」

と素直に思うのが当たり前である。

何故、こんな滑稽な事を、気付いていても変えずに続けているのか?

1.答えがない
2.答えを知らない
3.コーチ同士で議論をしたくない
4.昔の常識が変化している事に気付いているが、自分が追いついていない
5.本質の伝え方を知らない
6.コーチ同士のプライドを傷つけない様に配慮している
7.自分のスイングが本質であると思い込んでいる
8.他のコーチとは阿吽の呼吸で通じ合っているから大丈夫であると思い込んでいる
9.考えたくない
10.面倒である
etc...

理由を挙げればキリが無いが、結果的に聞く側(受講する)人に大変失礼な事を、
し続けている事に変わりはない。

この状況は、大企業によく見られる、言えない空気感、
所謂、「大企業病」、「同調圧力」に似ている。

最近ニュースを騒がせている、東芝、日産、神戸製鋼から何も学んでいないのだろうか?
自分はそれに当てはまる人間ではない、と思っているのだろう。茹で蛙の様に。



軍人教育からの脱却はいつか?

スポーツ指導者は、何故か威張りを表現する人間が多い。

確かに、人に何かを教えると言うことは、
「お前は知らない」が「私は知っている」
と言う上下の人間関係が、無条件で形成されてしまうのは理解できる。
そして、教える側は偉く、教わる側は偉くない。という態度で接している。

それは本当に正しいのだろうか?

「ご指導、ご鞭撻を賜ります」

という表現がある。
なのであれば、指導者側にも、

「恐縮ながら、小生が指導、鞭打たせ奉る」

という表現、理解で言動をする必要があるのではないか?

自他尊重し、幼児から学生への指導であっても同様ではないのか?
私はそれが当然であると考えている。

まだ、日本人の中には、社長が偉く、平社員は偉くない。という考えが蔓延しており、
役目、役割が違うだけで、フラットな人間同士、人間関係である。という理解が足りていない。

この根源は、戦争時代の軍事教育、軍人教育の精神から脱していない結果であると考えている。

軍人教育とは、受講している多数の人間の前で、大声で、お前は下手だと罵り、それにより
自尊心を傷つけ、不安を煽り、判断力を失わせ、指導者または組織への忠誠心を持たせる洗脳教育である。

これは非常に安易な手法であるから指導者は取り入れやすい。
何故なら、自身が幼少期に見てきた風景であるからだ。

驚くことに、軍人教育を望んでいる親御さんもいることだ。
「あそこの部活の厳しくて良い」
「なんて頼もしい指導者なんだ」
などなど、時代錯誤が甚だしいコメントを耳にする。

軍人教育の頂点に君臨した、高校野球でお馴染みだったPL学園が、殺人、傷害事件を起こし、
それを揉み消し、結果、裁判沙汰になり、学校自体の存続の危機にまで陥っている。
何故、誰でも知っている直近の歴史から学ぼうとしないのか?

体育館で、只々大声を張り上げ、イジメ続けているだけの指導者の末路は見えている。

これが何時頃からスポーツ指導者は変化して行くのか?私は指導者側として見つめて行こうと思う。

以上

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